地震発生から1か月。
(櫻井)
「家財道具が転がったままになっています」
「小さなお子さんの靴が落ちています。
この靴を履いていた子どもは無事だったのでしょうか心配になります」
1日も早い復興を手伝おうと石巻市には県内外から
多くのボランティアが集まっています。
16年前、阪神・淡路大震災で被災した
ボランティアの木下晴夫さんは...。
(木下さん)
「被災者の方の気持ちも人が来るのと来ないのでは全然違うと思うので。
心強いと思う来たほうが」
被災者とボランティアをつなぐ役割を果たすのが
ボランティアセンターです。
まず、ニーズ班と呼ばれる部署で被災された方々からの依頼を受けます。
(Q.一日にどれくらいのニーズが来ますか)
*石巻市災害ボランティアセンター 大槻英夫さん
「今は100件前後毎日来てます」
そして、マッチング班と呼ばれる部署で家の片付けなどを手伝う
人員の派遣を決めます。
(櫻井)
「想像以上のテントの数ですね」
ボランティアは、衣食住の自己完結が前提。
石巻市ではきょう現在1600人が活動しています。
一方、1か月たった今もボランティアの受け入れ態勢が
十分ではない地域もあります。
私は石巻市の隣町、女川町に向かいました。
(櫻井)
「こちら女川駅のホームです。ここにホームがありました。
そしてこちらから向こうにむけて線路がのびていたのですが
ちぎれて途中でなくなっています」
女川町は、町のほとんどが津波で壊滅的な被害を受けました。
町役場も被災し、ボランティアセンターを運営する
社会福祉協議会の機能もストップ。
10台あった車も、1台を残して流されました。
そこで急きょ、仮設のボランティアセンターを設置。
それは、小学校の一角にありました。建物はプレハブです。
「失礼します」
中で見たのは手作りの組織図。
受け入れられるボランティアの数は、1日30人がやっとです。
(櫻井)
「Q:今のタイミングではたくさん来られると困るという状況ですか?」
(女川ボランティアセンター 佐々木茂博さん)
「ちょっとスペース的な問題だったりいろんな事情があって」
「Q:女川では今のところテントをはったりする場所を確保することも難しい?」
「難しい」
「Q:現状では女川にボランティアに入りたいという方はあくまで
徹底した自己完結が必要だということですか?」
「できればそういった形ではお願いしたい」
そんな中、宿泊のための道具や食事などすべての装備を整え
県外から参加したボランティアの方に出会いました。
大分から参加した池辺大輔さん(31才)。
1週間前から女川でボランティア活動をしています。
(櫻井)
「Q:なんでボランティアに?」
(池辺さん)
「私はたまたま幸いにも時間もとれましたし、こっちに来るのも車なども
全部自分で手配できましたんで、来ない理由がないっていう考え方ですね。
困ってる人がいれば助けようって気持ちはみんな一緒なので」
現在、池辺さんは、家の補修や...
津波で押し寄せたガレキの撤去などを行っています。
(櫻井)
「Q:これは全部お風呂場から出したものなんですか?」
「出したばっかりなんですよ。」
「Q:こんな量!?」
「こちらバスタブがあったんですよ。魚とかが大量に。」
「Q:魚?!」
ガレキの中には、およそ2キロ離れた港から流されてきた大量の魚も。
(池辺さん)
「一人でやってると多分1日では終わらない」
(櫻井)
「Q:そうですよね。池辺さん自身は女川町に来て、
ボランティアの人の数っていうのはどうですか?
「足りないです。居て困ることはないですね。」
池辺さんは、残り1週間、女川でボランティア活動を行うといいます。
(櫻井)
「Q:池辺さん被災地に来られてどうお感じになられましたか?この一か月という時間は。」
(池辺さん)
「被災者のかたってやっぱり家も家族も財産も仕事も失ってしまって
がんばれる状態ではないので、お金送ったり物資送ったりっていうのも手ですけど、
まずは人の手でなんとか、代わりにやってあげようというそういう
気持ちがあれば、皆さんぜひ、きてほしいなと思いますし、
私もそれが今出来てるから、がんばろうかなって気持ちでいますね。」