日本テレビ「NEWS ZERO」

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イチメン 2010年11月15日 スー・チーさんとは

スー・チーさんは
 民主化運動の指導者になる前、
 イギリスで暮らす主婦でした。
 それがなぜ、闘争の道を
 歩むことになったのでしょうか。
 

スー・チーさんの父親である
アウン・サン将軍は、

190年代、
イギリスの統治下にあった現在のミャンマー、
 当時のビルマを独立へと導いた、
"建国の父"とよばれる国民的英雄です。


この英雄の娘であるという事実が、
その後の
 スー・チーさんの運命を左右することになります。

イギリス人と結婚していた
 スー・チーさんは、1988年、
   母親の看病のためイギリスからビルマに帰国しました。

このとき
「亡くなったアウン・サン将軍の娘」として
 数十万人の反政府集会で熱烈に歓迎されました。

 


当時、ビルマでは
 軍による一党独裁体制が続いていました。

市民を武力で弾圧する政府に対し、
 市民の権利を主張する
  民主化の動きが出てきました。


スー・チーさんは、
 この民主化運動の先頭に立つことを決意したのです。

 


しかしその後
 軍が直接政権をにぎる今の軍事政権が誕生。
 国名はミャンマーに統一されました。
 
そして1989年7月、
軍事政権はスー・チーさんの
     自宅軟禁を始めたのです。

 


この自宅軟禁とは、
自宅から一歩も出てはならない、
誰も自宅に入れてはならない、というものです。


行動は常に監視され、
電話や手紙など外部との連絡も禁じられます。

使用が許されていたのがラジオで、
スー・チーさんは
 ラジオの短波放送を通じて外の情報を得ていたということです。

 


スー・チーさんが軟禁される一方、
1990年に行われた総選挙では、
   スー・チーさんが率いた
        国民民主連盟が圧勝しました。

 


しかし軍事政権は、この結果を無視。  
      民主派への弾圧を強めました。

この軍事政権の弾圧は、
  20年たった現在も続いているのです。


民主化運動を率いるスー・チーさんの
 固い決意を表す、こんなエピソードがあります。
 

 

1995年、軍事政権は
スー・チーさんを一時的に解放しました。

このとき海外へ出ることもできたのですが、
 軍事政権が再入国を拒否するとみられたため、
       あえて国内にとどまることを選びました。

 


そのため、
1999年にはイギリスに住む夫が、
 がんのため亡くなりますが、その死に目にも会えませんでした。 

 

スー・チーさんは合計すると、
実に15年以上にわたり、
 軟禁されていたことになります。
 
しかし今後も、
 国内にとどまり民主化運動に専念するとみられています。