史上最大級といわれる上海万博が開幕してきょうで3日目となりました。
盛り上がりをみせる反面、会場では、チケットを奪い合う混乱が起こりました。
お目当ては、中国館に入場するための予約券です。
1日5万枚発行されますが、開幕から3日連続でトラブルになっています。
過去最多となる26の国と国際機関などが参加する上海万博。
きょうは、最高気温30度と、真夏日となりましたが、たくさんの人が詰めかけました。
3日間の入場者数はすでに56万人以上となっています。
盛り上がりを見せる上海万博ですが、そもそも万博とは、どういうものなのでしょうか。
万博は、正式には「万国博覧会」といいます。
この万国博覧会は、157か国が参加する国際博覧会条約に基づいて開催されます。
その定義ですが、条約には「教育を主たる目的とする」と書かれています。
では具体的に、今回の上海万博がどのように開催にいたったのか見ていきましょう。
当初、中国以外にも、韓国やロシアなどが開催を希望していました。
これらの国はまず、フランス・パリの事務局に申請します。
そして、条約の参加国が何回も投票を行い、開催国を決めます。
その結果、中国が選ばれ、開催国として承認されました。
では、日本と万博の歴史を振り返ってみましょう。
日本が初めて参加したのは1867年、フランスのパリ万博です。
当時、大政奉還目前の江戸幕府は、
第15代将軍徳川慶喜の弟である1歳の昭武を代表としてパリへ送りました。
幕府の他にも薩摩藩と佐賀藩が参加しました。
こちらは当時、パリ万博を紹介する記事と一緒に掲載された会場の挿絵です。
よく見ると、ちょんまげ姿で刀を持った、侍がいるのがわかります。
日本からは陶器や浮世絵など美術品が出展されました。
それらは、フランスの美術界で「ジャポニズム」といわれる日本ブームに火を付けました。
"印象派の父"といわれるモネが妻を描いた作品には、
「ラ・ジャポネーズ」「日本娘」というタイトルで発表されたものもあります。
日本文化の影響を受けた作品です。
そして1970年。
日本でも初めて万博が開催されました。
「人類の進歩と調和」をテーマにした大阪万博。
シンボルには岡本太郎さんがデザインした「太陽の塔」が建設されました。
アポロ11号が持ち帰った「月の石」などが展示され、多くの人が行列をつくりました。
この大阪万博で、登場したのが現在、空港などでよく見られる「動く歩道」です。
他にもあります。
こちら、ファストフード店やファミリーレストランも大阪万博で初めて登場しました。
当時、高度成長期だった日本。
これらの新しい商品やサービスは、市民の消費を刺激し、
その後の日本の経済をさらに成長させました。
この上海万博は、10月末まで開催されます。