日本テレビ「NEWS ZERO」

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4月14日イチメン《GO FOR BEIJING》 北漂

GO FOR BEIJING《櫻井翔×北京五輪》
今回は北京の若者たちを取り上げました。

3月1日。僕は北京の街に実際に足を踏み入れました。
オリンピックを控える北京にはいま、中国全土から大量の若者が流れこんでいます。

彼らは「京に流する=北漂」と呼ばれ、社会現象になっています。
「北漂」たちは何を求めて北京に来るのか、その現実を取材しました。

通称"鳥の巣"。
オリンピックのメインスタジアムである国家体育場。
工事が急ピッチで進められていました。国を挙げての一大事業です。

北京にいま地方から大量の若者が流れ込んでいます。
去年、北京にやってきた人は、およそ36万人。
中でも若者は"北漂"と呼ばれ、社会現象にまでなっています。

海淀区中関村(かいていく・ちゅうかんそん)
ここは、国がIT発展の開発特別区に指定した地域です。
若者にとって憧れの場所で、多くの北漂も、ここで仕事をしたいとやってきます。

ある北漂の若者が大成功をおさめたと聞いて、訪ねることにしました。


櫻井「かなり近代的なデザインですね。
イメージしていた北京のオフィスビルとは思えないようなおしゃれな建物です」

このビルの高層階にオフィスを構える若き成功者は、
多くの"北漂"の若者たちにとって憧れの存在です。

戴志康(だい・じかん)さん。僕と同じ26歳です。

彼の会社COMSENZ(コムセンズ)は、
インターネットでブログを開設する為に必要なソフトウェアを開発・販売しています。
戴さんはその会社の最高経営責任者です。

同じジャンルのソフトではシェアが中国一。

これは中国のテレビ番組です。
チャイニーズドリームを実現した人達が紹介されています。
戴さんはこれまで100回以上もメディアに登場しています。

戴さんは中国東北部のハルビンの田舎町で育ちました。
大学も地元でしたが、独学でブログのソフトを開発。
それが売れると確信を抱いて、5年前、いきなり北京にやってきたのです。

北京にやってきた理由をきいてみました。

戴「もちろん成功したいからですよ!」
櫻井「北京はどんなイメージを持つ街ですか?」
戴「一言で言うと、大きい。面積も人口も。だから競争も激しい
北京は多くの人が才能と運を信じてくる街だと思います」
櫻井「アメリカンドリームのような...」
戴「そうです」
櫻井「戴さんにとって成功とは何ですか?」
戴「アメリカドルで数百万ドル(数億円)稼ぐことが私にとっての成功です」

撮影中、2度彼の携帯電話が鳴りました。

櫻井「忙しいですね」
戴「いつもこんな感じです。仕事から離れられる時間がない」
櫻井「"北漂"と呼ばれることについてどう思いますか?」
戴「北漂は自分で道を切り開くために北京にやってきた人のこと。
だから最大の褒め言葉です」

北漂の多くは、僕と同世代の20代です。
彼らの育った時代、中国は大きく変化しました。

1992年、中国は市場経済を大胆に導入。
人々は職業を選んだり、農村の人が都市へ働きに出る事ができるようになりました。
努力次第でお金持ちになれる道が、はじめて開かれたのです。
そして"チャイニーズドリーム"が若者を北京にひきよせるようになりました。

戴さんの会社はいまや日本円にして年商数億円以上。
社員数は180名。その多くもまた、チャイニーズドリームを求めて
地方の大学を出てやってきた20代の北漂たちです。

呉楊さん(23歳・天津出身)
社長にあこがれて入社しました。
チャイニーズドリームを実現した人ですからね」

程稲さん(22歳・新疆ウイグル自治区出身)
「戴社長のように自分も商品を開発して成功したい。
それがここ北京ならできるかもしれない」

戴さんは同世代の「北漂」について...

戴「20代は独立心と想像力があるから
独特の感性を持って仕事をしている人が多いと思います」
櫻井「北京オリンピックに向けて会社として考えていることは?」
戴「もちろんあります。オリンピック開催でネット広告費が上がるから、
会社として利益を上げる大きなチャンスです」

戴さんは今、北京オリンピックを。
大きなビジネスチャンスと捉えています。
取材後、彼は足早に次の現場へ向かっていきました。

北京の街はいま、高層マンションやビルの建設ラッシュです。
その発展を支えているのが、地方からやってきた労働力「北漂」たちです。
ある人は戴さんのような大成功を夢見て、
またある人は地元では仕事がないから、という理由で都会に出てくるといいます。
慣れない都会で、彼らはどんな生活を送っているのでしょうか。

自動車修理工場で働く、もう1人の北漂を訪ねました。

自動車整備士の毛彬(まお・びん)さん、21歳。
河北省農村部出身の毛さんは、
高校卒業後、3年前に北京へ上京してきました。

この工場には、毛さんのように地方からやってきた
北漂の若者が20人働いています。
故郷を離れて生活する毛さん達は、工場のすぐ裏手にある寮で生活をしています。
毛さんの部屋を見せてもらいました。

櫻井「毛さんのプライベートな空間はこのベッドの上だけということになるんですね...」
毛「そうですね」

およそ8畳の広さの部屋に8人で共同生活しています。

櫻井「この人は誰ですか?」

毛「僕のガールフレンドです」
櫻井「二人で小指で指切りしている写真があります」

毛「離れていてもずっと一緒だよって約束しました」

恋人と離れ離れで生活を送る毛さんの月収は、およそ1万7000円。
生活していくだけで、ギリギリの金額です。
それでも毛さんが故郷を離れ、北京へやってきたのは叶えたい夢があるからでした。

櫻井「毛さんのって...何ですか?」

毛「北京に修理工場を持って、家を買って
彼女と結婚して一緒に住むのが夢
です」

厳しい生活に耐えながら夢を追い求める北漂。
しかし夢を実現できるのは、ほんの一握りだけ。
故郷に帰る人も少なくないのが現実です。

若者の、夢と現実が交錯する北京。
オリンピック開催を控えたこの街には、
夢を持った若者たちが、地方からやってきます。





今回取材をして北京という街には夢が詰まっていると感じました。

毛さんも『今は8人部屋に住んでいても、何年後かには自分の会社を作る、
いつかは自分の地元にその支社を作る。その第一歩が北京での仕事なんだ』
と熱く語っていました。北京にはチャイニーズドリームを叶えるための
何か特別なものがあると感じました。

さて、北京市には92年からの市場経済化を境に
他の省や都市から大量の人が押し寄せました。

北京市に戸籍を持たない「外来人口」の数はいまや400万人を越え、
北京を歩く人のおよそ4人に1人が地方出身者

この人たちは北京の目覚ましい発展を支える貴重な労働力でありながら、
一方で北京市の戸籍がないために医療・教育・年金といった
行政サービスを受けられないなど厳しい環境にさらされています。

チャイニーズドリームをつかむのは
本当に一握りの人だけなのです。