日本テレビ「NEWS ZERO」

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1月14日イチメン 薬害肝炎原告・福田衣里子さんの素顔

先週金曜日、ようやく薬害肝炎の被害者を
救済する法律ができました。
そこで、今回は国や製薬企業と最前線で
闘ってきた方にお会いすることができました。

今回お話を伺ったのは、福田衣里子さん。
薬害肝炎九州原告でみなさんもよくご存じの方と思います。

1月11日に成立した「薬害肝炎救済法」は
国によって認可された血液製剤の投与によって
C型肝炎ウイルスに感染した人たちを救済する法律です。

薬害肝炎の原告団には
40代から50代の方がたくさんいて
主にお産の時に血液製剤を投与され感染しています。
福田さんにとってはお母さんの世代に当たる年齢の方々です。

しかし、薬害肝炎の原告団206人のうち
福田さんと同じ「20代の方は23人」もいるんだそうです。
僕らの世代もこの問題に決して無関心ではいられません。
この方々がウイルスに感染した主な原因は、産まれた直後に
何らかの手術で止血のために血液製剤を投与されたことです。

現在27歳の福田さんも産まれた時に血液製剤を投与され
20歳の時にお母さんと一緒に検査に行って感染を知ります。

22歳でウイルスを消すための
薬を使った治療を始めますが、
発熱や猛烈なかゆみといった副作用に苦しみます。
そして23歳で原告団に加わり実名を公表しました。

今回のイチメン!は福田さんの、
あまり語られることのなかった27歳の素顔に迫りました。





先週金曜日、国に対して薬害の責任と救済を求めてきた
原告にとって、歴史的な1日となりました。

 

九州訴訟の原告・福田衣里子さん。
彼女にとって20代は、病気と闘い、国と戦う日々でした。

20歳の時、C型肝炎ウィルスに感染している事を知った福田さん。
提訴以来、薬害被害の深刻さを訴え続けてきました。

そんな彼女たちを救う法律が成立する2時間前。
櫻井「今日はよろしくお願いします。初めまして」
福田「初めまして」

福田さんが、待ち望んだこの日に、
お会いする事ができました。

櫻井「この場所すぐそこに厚労省があって、
よく来ていた場所だと聞いているんですが...。
それで、いよいよ今日ですけど
どんな気持ちで今日この日を待っていましたか?」
福田「最初はここまでできるとは思ってなかったし、
ビジョンも何も見えないでただがむしゃらに走り続けてきて
今できる事を積み上げてきただけだったんで、
まさかここまでこれるという風には思ってなかったんですね。
だから、今この法案が成立したら
ホントにそれは嬉しい事なんですよね」

櫻井「福田さんは僕の1コ上で27歳だと思うんですけど、
その20代の4年間っていうのはすごく大切な時間だったんじゃないですか?」
福田「そうですね。20歳の時に感染を知って、それから治療を始めたんで
20代をずっと肝炎の治療とこの活動に費やしてきて、
青春っていうのが、あんまり友達と比べるとなかったかも
しれないなと思うんですけど」

櫻井「恋愛とか考えたりしないんですか?」
福田「したいんですけど、なぜか浮いた話がないだけです」
櫻井「出会い多そうなのに、福田さん。
色んな人に会ってるじゃないですか」
福田「結構みんな、既婚者ばっかりなんですよね(笑)」

福田「たぶんテレビとかでは結構強い事言ってる所が流れるから、
気が強そうやなとか思われて、どんどん縁遠くなっとるわと思って。
すごく不安になって『わっ、しまった』っていつも思ってる」

福田さんは生まれた時にヘソからの出血がとまらず、
止血の為に血液製剤「クリスマシン」を投与され、C型肝炎ウィルスに感染。
しかし、その事実を知らずに育ちました。

高校では、空手で段位を取るほどの元気な女の子。
そして大学時代、ヨーロッパへ長期の一人旅に出かけ、
自分の未来を託すある夢を見つけました。

ところが、その1年後、検査で感染を知ります。
そして肝炎を発症。
彼女の人生は、薬害で大きく変わってしまったのです。

櫻井「夢っていうのは何だったんですか?」
福田「その時はちょうどフランス行って食べたパンに感動して、
パン作りたいと思って、パン屋になりたいなとその時は思ってたんですね。」
櫻井「今からって時に病気の事が分かった時は...?」
福田「色んな社会と言うか、世界は広いし、これから色んな事があるんだって、
広がってた時だったんで、ちょうど外国から帰ってきて。
これからもっと色々な経験をすると思っていた矢先だったので、
閉ざされたって言うか、前が見つめられなくなった。
どうしても不安だし、何やってもうまくいかない気がするし、
だから、知らなきゃよかったって思いましたね。最初」

櫻井「1コ上の福田さんがC型肝炎の患者さんでらっしゃるという事にびっくりしました。
上の世代の人達の病気だと福田さんの話を聞くまでは思ってたから。」
福田「私も検査に行かなかったらわからなかった。
自覚症状がほとんどないので、体だるいとかイライラするくらいなんですよね。
それって病気って思わないじゃないですか。20代で。」
櫻井「実名公表をなぜ決断したんですか?」
福田「1番は名前を隠さなきゃいけないような悪い事は
こっちはしてないという思いがあったので...。
国とか企業のホントに悪い事をした人達が隠すのならわかるけど、
私たち原告が名前を隠す必要はないと思いました」
「あとは、若い人で感染している人が間違いなくいるんですよね。
このまま進行していくと肝硬変、肝がんに移行するわけじゃないですか。
私がテレビの前で訴えれば、20代でも感染してる人がいるんだって思って
検査に行くきっかけになるかな、って思いましたし」

櫻井「単純に、4年って数字だけだと短い期間に感じる人もいるかもしれない...。
今だったら徐々に何か動いてる感じを実感できると思うんですけど、
始めの頃とかそれこそただ毎日議員に会いに行く、
国会に行くって繰り返してて、これホントに意味ないなって思う瞬間はないですか?」
福田「そういう不安は、あんまりなかったですね。
これは本当に薬害に合った人達の為でもあるし、
今これで薬害を撲滅しなければまた新たに絶対、起きるだろうし。
この活動を通して役に立つのなら嬉しいという思いがあって」

福田さんは、幸い治療で肝炎ウィルスが減ったために、
今は、年に1度の検査を受けるだけまで病状は回復してきています。

櫻井「それでもなお、戦い続ける理由は何でしょう?」
福田「それは、自分は治ったからいいとかいう問題じゃない。
それこそ、自分達の身勝手で薬害を生みだした人間と同じだと思って。
私1人治ったって、ほかに治ってない人もたくさんいるし。
治療したら治るかもしれない人ができずにいるという現状を知ってしまったので、
私にできる事があるんだったら、やらないといけないって思って、
もう自分1人の問題じゃなくなってしまったんですよね」

櫻井「背負うものが大きくなってたんですかね。責任と...」
福田「だから肩が凝るんですかね(笑)」

櫻井「パン職人はやらないんですか?」
福田「パン職人は、今はもうそういう思いはないですね。
ホントにこの活動を片手間ではできないし、
中途半端にはできないことなんですよ。
中途半端に夢をみてしまうと、それをしたくなっちゃう。
だから中途半端に夢は見るまいって思ってて、
終わってから考えようというのがあって。
だから今は、何がしたいですかって聞かれても、
350万人の医療費助成っていうぐらいで、特に...」
「でも心配ではあるんですよね。もう27歳だし、
これが終わった後に、仕事とかどうしようっていう。
早くどうにかしないといけないっていう自分の問題を
さておいてるな、っていうのはあるんですけど...
まぁ、どうにかなるかなって(笑)」




そして、法案の採決が行われました。

原告団の1人として4年間にわたって
ほぼ毎日、国と闘ってきた福田さん。

やっと国が動いたのです。

議長「投票の結果を報告します。投票総数239、賛成239。
よって本案は可決されました」

4年間の苦労が、ようやく報われました。

櫻井「どうですか?今。」
福田「ここまで、やっと...。
たぶん1か月前、2か月前だったら反対ゼロではなかったと思いますし、
ここまで諦めずに訴え続けてきた事が実を結んだので、
ホントにホッとしたというか、やってきて良かったという思いがまず1つあって。
けどこれから、この法案では救済されない人がたくさんいる。
これを土台にして、そういうものを獲得していきたいなと思います」

大きな1歩。
でも闘いは、続きます。