日本テレビ「NEWS ZERO」

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5月14日イチメン 返還35周年~沖縄の真実

今回のイチメン!はまず1970年代の
沖縄・那覇の写真をご紹介しました。

よく見ると...なんとこの写真!
車が右側を走っています!

実は、5月15日に沖縄は本土復帰から
35周年の日を迎えました。
僕らの世代には馴染みの薄いことですが
たった35年前まで沖縄は日本の「県」ではなく
アメリカによって統治されていたのです。
そのころの沖縄のことを調べてみました。

1945年。日本が太平洋戦争に敗戦すると
沖縄を含む日本全土が連合国に「占領」されます。

それから7年後の1952年には
サンフランシスコ講和条約が発効し
日本本土の占領が解かれました、しかし!
この条約では「沖縄の統治はアメリカが行う」
ということも決められていました。

つまり、日本本土と沖縄が切り離されたのです。

この時から政治・経済・文化の全てにわたって
沖縄はアメリカのルールに染められました。

日本の本土と沖縄との行き来には「パスポート」が必要となり、
お金は米軍が発行した「B円(B型軍票)」と呼ばれるお金が
正式通貨として使われていました。

これは今回手に入れた本物の「B円」です。

「B」と印刷してあり、「ONE」「YEN」と
英語日本語が入り交じっています。
B円には10銭から1000円まで8種類ありましたが
今回お見せした「1B円札」など
真四角に近いユニークな形のものもありました。

また、アメリカを象徴する飲み物「コーラ」も
いち早く沖縄に浸透しました。

そのコーラやソーダ、ビールの「廃ビン」を再利用して
ガラス職人たちが米軍向けのグラスなどを作りました。
その技術から発展したと言われるのがこの「琉球ガラス」。

現在、沖縄の伝統工芸品になっているきれいなガラスには
アメリカの占領・統治の影響があったんですね。

そして、足かけ27年の間
アメリカの占領・統治下にあった沖縄は
1972年の5月15日、
佐藤栄作内閣のもとで日本へ復帰することになりました。

お金を「円」に戻すのも大変だったそうですが
やはり、交通ルールを変えるのが一大事。
でも、常に走っているはずの車のルールを
一体どうやって変えたんでしょうか?

当時の貴重な映像が残っていました。

1978年7月29日午後10時。
沖縄県全域で自動車の使用が禁止されました。
そして、車の走っていないわずか8時間の間に
標識や信号機、道路表示などをすべて
「左側通行」に変えたんだそうです。

放送ではお伝えし切れませんでしたが、
バスやタクシーも大変だったそうです。
なぜなら、乗車口が全部「右側」だったので
それを「左側」に変えるための改造や
新車導入が必要だったからです!

こうして、アメリカの統治から
「日本の沖縄県」へと大きな変化を遂げたんですが、
一方で変わらなかったものもあります。

それが「米軍基地」です。

この35年の間に本土の米軍基地はおよそ
60%が日本側に返還されました。
しかし、沖縄県の米軍基地は
本土復帰後も17%の返還にとどまっているのが現状です。

これについて村尾さんは
「35年たった今でも日本にある米軍基地の4分の3が
沖縄に集中していて県民に過剰な負担を強いている。
政府は米軍再編の動きに絡んで沖縄の基地を減らそうとしているが
まだまだ道は遠いと思います」
とコメントしました。

沖縄返還35年の節目を迎えて
僕たちもこれら沖縄が背負ってきた
歴史と基地の問題を考えるいいタイミングだと思います。
以上、イチメンでした。